千葉支部「歩こう会=流山を歩く」= 10月10日
第24回「歩こう会」は、かつては味醂醸造で栄え、小林一茶が愛した地であり、また新撰組終焉の地でもある流山を歩いた。
集合場所である流鉄流山線・流山駅は、常磐線馬橋駅からわずか営業距離5.7キロにある終着駅である。来年3月に開業100周年を迎えるこのローカル線は、流山の住民が資金を出し合って作ったことから「町民電鉄」とも呼ばれていたとか。
参加者19名を2班に分け、それぞれにボランティアガイドが3人ずつ6名がつき、10:30流山駅を出発して先ずは流山博物館へ。ここは明治2年に葛飾県が誕生したとき県庁が置かれた所である。見学の後博物館前で集合写真を撮り、江戸時代から近世にかけて栄えた旧街道沿いに残る歴史遺産を懇切丁寧なガイドの案内で廻った。
かつて旧街道は江戸川の堤の上を通っていたとのことで、旧街道の手前の街並みは一段下がって建てられていた名残が随所に残っていて面白い。古い商家のいくつかは、外見はそのままで中はイタリアンレストランや喫茶店などに改装されていたりしていた。また店舗や民家の前には行燈が置かれ、それには店の名前はもちろん、現在は商っていない民家でも昔営んでいた店の名前が記されていて、夜にはこれらに火が灯るという。
我々は呉服新川屋から浅間神社へ。神社裏手には市指定文化財に指定されている富士山塚がある。隣の常與寺には、県内最初の学校「流山学校」と教員養成所である「印旛官員共立学舎」(現千葉大学)が設置されていたとのこと。「流山にあった県庁や教員養成所は、その後皆流山から出て行ったしまった」とガイドが嘆いていた。
新撰組が本陣とし、近藤勇がここで新政府軍に投降した「近藤勇陣屋跡」と、義賊・金子市之亟の墓のある閻魔堂を見学し、万華鏡ギャラリー「見世蔵」を覗いた後江戸川の土手で草の上に足を投げ出して弁当を広げる。
腹ごしらえをして、流山キッコーマン工場の横を通り、「一茶双樹記念館」へ。ここは、かつて小林一茶が足しげく訪れた、味醂醸造で財を成した秋元家母屋を移築改修して記念館としたもの。最後は赤城神社だ。ここの大注連縄は、毎年10月の大祭前に氏子だけではなく市民も参加して一日がかりで作るとのことで、「大注連縄行事」は市無形民俗文化財に指定されており、長さ10メートル、重さ500キロもあり、壮観である。
ここでガイドと別れて平和台駅に14:30無事到着し、解散となる。元気の残っている人達は松戸まで出て、トコトンの大反省会はいつものことであった。
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